Hiroo Saga (1995) Ginga, No.5
う つ ゝ な き つ ま み ご ゝ ろ の 胡 蝶 哉 蕪村
この句は、蕪村句のうちでも、とくに解釈が定まらないもののひとつである。「うつゝなき」は、現実でない、正気でない、夢のようなの意味であるが、問題の焦点は「つまみごゝろ」にあり、矢島渚男氏(『与謝蕪村散策』、角川書店、平成七年)が述べるように、その主体を人−私とするか蝶とするかで観賞が分かれる。しかし、その大勢は「人」派であって、講談社版『蕪村全集』第一巻(平成元年、二二九頁)の次の頭注は、多数派の意見をもって定説とした観がある。
美しく可憐な蝶を、痛めぬようソッとつまんだ指先の、物をつまんだとも思えぬ夢のように不確かな感触よ。
蝶が人の指につままれる客体となって、句の主題はその指の感触であるということになる。明治の虚子にはじまって以来、この説が多くの評釈家に受け継がれてきた。そのなかで、佐藤紅緑は、うつゝなきさまの蝶に、そっとつまんでみたくなるほどだという観賞(『蕪村俳句評釋』、大学館、明治三十七年)をして注目されるが、それでも、人が蝶をつまむという感覚から自由ではない。私が右の定解に違和感をおぼえるのは、まず、句は胡蝶哉と切れているから、「釣鐘にとまりてねむるこてふ哉」などと同様に、主題は胡蝶なのが自然だからである。
そこで、清水孝之氏によれば、「つまみごゝろ」の解釈は主に次の三つに分かれている。一、作者が蝶の羽をつまんだ時の心持、二、蝶が物をつかんだうつつな夢心、三、作者がつまんでみたくなる心。清水氏の読みは、この二を主に踏んだものであって、「つまみごゝろ」の主体を蝶に置いた、少数派の典型である。その解を引いてみよう(『與謝蕪村集』、新潮社、昭和五十四年、六四頁)。
どこからともなく美しい胡蝶が舞い下りて、ふわりと草葉にとまる。静かに羽を収めた姿は、わが魂が抜け出したかとも思われ、その草葉をつまむ感じも、うつつなき夢心地のようだ。
結論を先にいえば、私はこの解釈の方が、句の核心により近いと思う。それはいくつかの理由によるが、この句が『荘子』の斉物論篇における「荘周夢に胡蝶と為る」の章を明らかに踏まえていることがそのひとつである。それに、「つまむ」という動詞に「こころ」をつけて名詞にするというのは、日本語が得意とする名詞化機能であるが、心の主体はいつも人間だからという安易な観念によって、「つまみごゝろ」を「蝶の羽をつまんだときの人の気持」などとしてしまっては、夢を見るのとは逆に指先に注意が集中してしまう。もし「荘周夢為胡蝶図」なる蕪村の画が発見されれば明らかになろうが、画面に蝶をつまんでいるおやじが出てきたら、絵はだいなしになってしまう。この句における「つまみごゝろ」は、草葉をつまんでいるかいないかのあえかな蝶の風情を象徴するものと解したい。
そのあえかでかそけきさまが、胡蝶をも作者をも包みこむ、この句全体の姿なのである。うつつなき蝶の姿態を見つめている作者もまたうつつない。ここで、つまむ行為をしているのは蝶でもあり、忘我して蝶になった人−作者−私でもある。しかし、それはその人の指先ではない。いいかえれば、つままれているのは蝶の羽ではない。つままれようとしてその寸前でもあるような、軽く包まれているだけのような、句語の表には隠されている花あるいは草葉である。その花をつまむのは蝶の小さき肢であり、忘我した私である蝶の細くあえかな肢である。
荘子「胡蝶の夢」を踏まえれば、やや乱暴な引用になろうが、現代の四歳になる女児が母に語ったという次の「詩」(平成七年六月二十三日付読売新聞「こどもの詩」欄)が、この句の中心につながるものを含んでいる。
ちょうちょになって
田中美桜
ままと いっしょに
ちょうちょに なって
おそらを とびたいな
それでね
きれいな おはなに
とまって
「うふふ」って
わらうの
(千葉県大多喜町・四歳)
つまむ主体を人だとする人たちも、虚子以来、「胡蝶の夢」に気づいてはいたが、果たして『荘子』斉物論篇をきちんと読んでいたかは疑問である。これは無論、蕪村の教養のうちであっただろう。明治三十三年刊の『蕪村句集講義・春の部』(俳書堂)で、この句には虚子の説のみを載せるが、曰く、「胡蝶の羽をおさめてとまつて居るのをつまんだ時の心持で、其時の心持はうつゝでは無い即ち現在では無い夢のやうなぼーッとした心持であるといふのである。荘周の故事で胡蝶といふと多少夢を連想する。其連想もいくらかあるのであらう。」 蝶の羽をつまんだときの気分が主旨であって、それに荘子の夢のことも思われるとする。これに対し、木村架空(『蕪村夢物語 春の部』、大日本図書、大正六年)は、「眠つて居る蝶を摘まんで見るといふ様な無風流な事は、まさか私どもはしない。又摘まむと同時に精神が恍惚として、心もちがボーとなるなどは大いに恠しいもんだ。」と述べて、虚子説を批判した。氏はいう。
「うつゝなき」は、正氣のない事。「つまみ心」は、蝶が物をつかんでとまり居る心。一句を通じていへば、物にとまつて寐てゐる蝶が、時々落ちさうになつては目をさまし、抱へた物を放すまいとして、翅をばたばたと動かして怺へる事がある。暫く見て居ると、同じ事を繰り返すものだ。其の様子が如何にもうとうとと、うつゝなき夢心のやうに見える。この句は、そこをいつたものだ。
蝶のしぐさの細部をやや限定しすぎているとも思えるが、蝶の姿そのものが句の主題だとする読みは、人間主体の連想から自由になっており、句の中心をとらえている。しかし架空氏は、うつゝなき夢心を強調しているにもかかわらず、批判の勢いが余ってか、句の背景に「荘周夢為胡蝶」があることをわざわざ否定してしまった。そしてそれ以降、荘子の夢は、むしろ人の指の感覚を支持する人たちの方に引き継がれていくことになる。奇妙なねじれ現象であるが、その感覚の微温的なあやしさに、近代人が眩惑されてしまったのかもしれない。
碧梧桐は、それを「眞に一指頭の感味だ」(『蕪村名句評釋』、非凡閣、昭和九年)と評し、草田男は、さらに「あの軟い弱々しい一種頽廃味にも通じる触感を詠ったもの」、「感覚の歓びに独立の自主と権利を与えている」(『蕪村集』、小学館、昭和十八年)とまで賞した。清水孝之氏でさえ、先の解の後は、紅緑の「つまみたくなる心地」説に近づいてしまった(『与謝蕪村の観賞と批評』、明治書院、昭和五十八年)。村松友次氏は、荘子の夢に言及しながらも、その夢を「感覚の解放」の方に結びつけた(『蕪村集』、尚学図書、昭和五十六年)。また、森本哲郎氏は、荘子の哲学と蕪村の美学の関連をたんねんにたどり、私には教えられるところきわめて大きいけれども、この句については、「やはり蝶の羽をそっとつまんだときの胡粉の温かさ、名状しがたいあの感覚を詠んだもの」とされている(『詩人与謝蕪村の世界』、至文堂、昭和四十四年)。しかしその後、氏は、「あるとき、じっさいに胡蝶をながめながら、待てよ、と思った。白い蝶は黄色い山吹の花にとまっていた。その姿が、まさしく『うつゝなき』様を開示しているように見えたのだ」(『月は東に』、新潮社、平成四年)と述べて、少数派の観賞に転じている。
氏の転向に力を得たから、ここで、荘子「胡蝶の夢」の章を、その翻訳文で読んでみよう(金谷治訳注『荘子』、岩波文庫)。
むかし、荘周は自分が蝶になった夢を見た。楽しく飛びまわる蝶になりきって、のびのびと快適であったからであろう。自分が荘周であることを自覚しなかった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく荘周である。いった い荘周が蝶となって夢を見たのだろうか、それとも蝶が荘周になった夢を見ているのだろうか。荘周と蝶とは、きっと区別があるだろう。こうした移行を物化(すなわち万物の変化)と名づけるのだ。
私には、蕪村がこの章を踏まえれば、想像にも、蝶の羽をつまむことはなかったと思われる。荘周は自分が荘周であることを自覚しないまま蝶となっていたのだから、そこにうつつの世の自分が現われて、その自分である蝶をつまむのは無理であるし、ややグロテスクな図でもある。蝶は荘周の夢であり、その荘周は蝶の夢であるという因果の相対性、あるいは現実の世界における差別的な現象の奥に、それらを貫いてすべてが同一の真実の相がある、というのがこの章の眼目であろう。だから、蝶のかそけき姿態を借りて、自己と蝶との間の移行が自在な世界をかいま見ているのが、蕪村胡蝶句の核心であると私は考える。
愚考を重ねれば、それはハイデガーの存在に関する思考にもつながるであろう(『銀河』第三号「蕪村句における存在とハイデガーの思考」参照)。とくに、ハイデガーの使う現存在(Dasein)におけるDaの意味に着目したい。Daは日常のドイツ語で「ここ」とか「そこ」を意味するが、ハイデガーにおいては、人が自身を見いだす開かれた領域を指す。「そこにあること」は、その開かれた領域で「そこに開かれてあること」であり、したがって、それはつねに「忘我」の性格をもつ。存在が自己開示する場所に開かれて立っていることは、我を忘れる経験と一緒にやってくる。このことと、胡蝶の姿を見つめることによって忘我する蕪村「うつゝなき」の句が、私には重なって見えてくるのである。荘子における「坐忘」ということばも、蕪村がその離俗論で用いた「俳諧禅」ということばも、そこに想起される。
しかし、話がややうつゝなくなってきたから、ここで、胡蝶句が成ったときの場面を確認しておこう。この句は、百池自筆控え『耳たむし』によって、安永二年正月二十七日夜、不蔵庵における発句会での吟であることがわかる。そのときの兼題は「春夜」と「蝶」であった。そこでまず、この年の立春は正月十三日、春の訪れが遅い年であった。したがって、当夜の二、三日前にこの句が成ったとして、陽暦で二月中旬にあたる春浅きころ、蕪村は庭に面していたとしても、その前に蝶はまだいなかったであろう。蝶は作者の内景から現われざるをえない。しかも、その夜の他の句を見れば、蝶はその姿を見つめられているばかりであって、そのなかに、蝶が人につままれる句が出れば、浮いてしまうことはなはだしくなる。同座の句を二つだけあげてみよう。
日 は 西 へ か た ぶ く 蝶 の 寐 覚 哉 自笑
夜 芝 居 の 昼 の 舞 台 に 胡 蝶 哉 几董
やはり共通しているのは、うつゝなき夢の風情である。また、二つとも、もうひとつの兼題「春夜」に通いあっている。自笑の句は、明らかに「胡蝶の夢」を踏まえ、その時刻をもう少し遅らせれば、蕪村の「うたゝ寝のさむれば春の日くれたり」となろう。対照的に、几董の句は、謡曲『胡蝶』を思わせる。夜に芝居があるはずのひっそりとした昼の舞台に蝶が飛んでいるのである。それはまるで、夢のなかの劇を舞っているようにも見える。なお、シテである蝶はその舞台で、まだ蝶としての出現には早すぎる季節の夜における「仮身」であった。二つの句の間に置いてみれば、この座に出された蕪村句の蝶は、二つの句それぞれにつながりながら、やはり、ひらひらと舞いきたり、花にとまるかとまらないかの姿で私の前に現われてくる。シテの被る天冠には、蝶が花にとまっている。三句は交わって舞い、句のなかのその季節を間近に待つ、春の夜の夢のようでもある。
さて、ようやくここで、私なりの蕪村胡蝶句の読みを試みてみよう。
春も深まる頃、暖かい日とおだやかな風に、うっすらと切なくもあるような幸福感がさしこんでくる時間がある。そんなとき、おのずと庭を見やれば、ふと、ひとひらの蝶が飛びきたり、私の視界のなかに入って、ふわりと花をつまんでとまっている。しかしそのさまは、花をつかんでいるのやら、ただそれにふれるかふれないかのままいるのやら、不確かである。つかんでいるとしても、そのつかみ方は、心そのもののように重さがない。それはまるで、その蝶がというよりも、花をつまむという風情だけが、あるいはその夢のような気分だけが、花をかりそめにつまんでいる、胡蝶の姿だ。
私はそれを見ていて、そのいかにもかすかな感触が、私自身の感覚となってくるのを経験する。私はただそれをみつめ、そうしている私の体が夢のなかにいるようにも感じられてくる。私は私を忘れる。私は蝶なのかもしれない。いや、蝶が私なのかもしれない。夢のなかで蝶になって、私であることを忘れたその蝶は、ふれるように、ふれる寸前でもあるように花をつまんでいる。その感触だけは、蝶になった私に、まるでその蝶としての感覚のままに感じられる。私の忘我、あるいは、蝶の忘我。私が蝶なのか、蝶が私なのか。うつつはうつつなのか、夢は夢なのか。この風景は、外景なのか内景なのか。ふとめざめれば、ここに私がいる。ああ、蝶をみつめていたらしい、とも、いや、蝶になっていたらしいとも、おぼつかない記憶がほんのしばらくの間、私のなかのどこか不思議な場所で交差している。もしかして、今ここにいる私の方が、夢のなかかもしれないのだ。
う つ ゝ な き つ ま み ご ゝ ろ の 胡 蝶 哉 蕪村
このように読んでみると、この句における「うつゝなき」のはたらきが重層的であることに気づく。それは、「つまむ」にも「こゝろ」にも「胡蝶」にもかかり、「つまみごゝろ」にかかり、そしてみずからを含むこの句全体にもかかっている。そのなかで、「うつゝなきつまみごゝろの」という仮名を連続させた詩語は、そのまま胡蝶にかかり、ののはたらきによって、胡蝶が胡蝶そのものであることと等価になっている。その核心の、蝶の存在のかすかさと交歓しているのは作者である。作者はそれをことばですくいあげ、一句をなした。「こころ」という語をここで用いた作者のまれにみる自在が、それを可能にしている。この語と通じる用法が、森本哲郎氏(『月は東に』)が指摘するように、「夕皃の花噛ム猫や余所ごゝろ」であろう。猫が忘我しており、蝶が忘我しており、作者もみずからを忘我させている。うっすらとした存在の方へ、みずからを開いている。
また、蕪村はここで、句表に蝶だけを出し花を隠しているが、そのネガ・ポジの反転が、「花に来て花にいねぶるいとま哉」であろう。その花は桜であるが、そこでいねぶるのは、蝶にもなりうる蕪村その人である。その人には、「花を蹈し草履も見えて朝寝哉」の吟があり、それと寄り添うような「島原の草履に近き小蝶かな」の句もある。そして、この句は「若竹や橋本の遊女ありやなし」をも想起させるが、その「ありやなし」は、肯定と否定を複合させて、「うつゝなき」と近似した効果を生んでいる。それぞれに否定を含意しながら、若竹の向うや蝶の姿態をしかととらえている。安東次男氏は、こうした語句を引きながら、蕪村が「事物の中に発見した一種の浅さとでもいうべきものの認識」(『与謝蕪村』、講談社学術文庫、平成三年、一四五頁)を指摘している。私には、それがハイデガーのいう「存在」につながるように思われ、蕪村句における否定辞の絶妙の配置が、その表現を可能にしていると思われるのである。胡蝶句においてそれは、うつゝなきとしながら、うつゝにおける蝶の実相を把握し、それがまた、うつゝなき全体に戻っていくという重層的な構造に埋めこまれている。謡曲『胡蝶』の構成がそれと似ているのも、蕪村のなかでおそらく偶然ではなかっただろう。
みずからを忘我させながら、蕪村は、存在そのものへと向かっている。あるいは逆に、創作を介して存在に向かうことがあるとき、蕪村はほとんど忘我している。ハイデガーの思考においては、存在は隠れつつ現われる。それは一種のたいくつの時間であるが、哀しくも至福でもありながら、開かれてあることによって深々と物が見える時間でもある。だから、蕪村の離俗論における離俗は、その文面以上のものである。「俳諧禅」ということばがそれを暗示しているものの、蕪村は『春泥句集』序において、離俗を語り切れていないようだ。無理もない。それは、作品でしか表わしようがないものである。蕪村は、離俗を作品で語らざるを得ない。ハイデガーとても同じである。かれは存在を語るのに、詩や絵画作品の力を借りなければならなかった。そして、離俗の時間は、そうたびたびは人には訪れない。そのまれな時間の賜物として、存在は、作品という形に現われ、かつ、作品という形のなかに隠れる。隠れるからそれは現われることができる。現われるからそれはいつも隠されるのである。作品を前にして、それが再び現われるのを経験するとき、私たちはほとんど、存在を、追想している。そのなかだちをすることをまれに許されているのが、真にすぐれた画人であり詩人である。その両者を備えたという意味で、蕪村はほとんど奇跡である。 (『銀河』, No.5, 1995)
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上の稿を記してからしばらくたったが、句集をときにつまみ読みしているうちに、ふと、問題の構造が似ているのではないかと思われる句があったのに気がついた。それは、「詠物の詩を口ずさむ牡丹哉」である。『新花摘』中、一連の牡丹句の終わりから二番目に出る句である。ここで、詠物の詩を「口ずさんで」いるのは、作者ないし人なのか、それとも牡丹そのものなのか。多くの鑑賞は、それを作者ないし人としているようであるが、私にはそれが牡丹ではないかとも思われてくる。すなわち、私解、「諸物の形象をそのままに写そうとする詠物詩。それを、見事に咲き誇った牡丹花が、まるでみずからについて語るように口ずさんでいるかのようである。」
詩人の中には「花そのものが詩である」というような認識を示す方がいる。蕪村のこの句も、そのような認識をひそませた作ではなかろうか。(平成11年11月25日記す)